精神保健福祉法に至るまで(精神障害者福祉の歴史)

精神保健福祉論
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精神保健福祉論

「ポイント」

  • 国内の年代に沿って諸外国の精神保健福祉の動向を把握しておく
  • 障害者福祉法に至るまでの歴史を時系列に理解できる
  • 精神障害者がはじめて法律で規定された障害者基本法を理解する

レポート文例

精神保健福祉法に至るまでの過程を述べるには、障害者福祉の中でなぜ精神障害福祉のみが立ち遅れたかを踏まえなければならない。
それには、明治7年に制定された恤救規則(じゅっきゅうきそく)が1874年から1931年の間、救貧法として国の政策とされたことが影響を及ぼしている。
50年以上にわたり救貧法は、救済の形をとりながら長く障がい者を排除してきた歴史を知る必要がある。

明治33年に精神病者監護法が日本における精神障害者に関して初めての法律である。
今でいうところの行政知事の許可で主に家族が自宅に監置出来る法律で、精神医療が十分でなく家族の負担が過剰になる問題が生まれた。
呉秀三が、「精神病者私宅監置の実況及び其統計的観察」の報告書と共に精神障害者の処遇改善を訴えたこともあり、大正8年に精神病院法が生まれたが功を奏していないまま終わっている。

第二次世界大戦後、欧米の精神衛生の考えが導入され、昭和25年に精神衛生法が制定された。
そのため、それまでの精神病者監護法及び精神病院法は廃止となり精神障害者の自宅監置が禁止されることになったのである。
その際、都道府県に公立の精神病院の設置義務が課せられている。また、自傷他害の恐れのある精神障害者の措置入院や、保護義務者の同意による同意入院の制度が整えられると同時に、精神障害者の拘束の要否を決定するための精神衛生鑑定医制度が作られたのもこの頃である。

戦後ヘレンケラーの来日で障害者福祉問題に対する啓発運動が展開されたが、日本では「身体障害者」「知的障害者」は福祉法上の対象となったが「精神障害者」はその対象から外されている。
精神障害者の処遇は医学領域の範囲であり、福祉領域ではないと国が考えていたからである。
さらに言うなら、精神障害者のことは精神病院に任せておけばいいのであって、国が面倒を見る対象ではないと認識されていたのだろう。

そのため、同じ障害を抱えながら、精神障害者とそれを支える人たちがどれほど大きな不利を受けたかはかりしれないものがある。

昭和35年以降、諸外国では「精神病院をどう変えていくか」の問題に取り組み、どう縮小するか、地域へ患者をどう戻すか、戻したら彼らをどう支え援助していくか、という共通の課題と目的を持ち、動き始めていた同じ頃、わが国日本では、精神病院を増やし患者を病院内に取り込むことに力を入れていた背景がある。

民間の精神病院の施設整備費・運営費に対して国庫補助が行なわれるなどしたこともあって、民間精神病院が多数建設されるようになり、昭和30年から15年間で4.4万床から25万床に増えるなどの現象がおき、精神科医療が民間医療機関に依存する傾向を強める結果を生むなどいろいろな問題を含んだ。

また、昭和30年代から薬物療法が導入されるようになり、精神疾患の寛解率が大きく向上するようになったが結果として、病状の改善した精神障害者の長期入院・社会的入院という新たな課題が生み出されていくことにつながっていく。

昭和59年の宇都宮病院事件が、日本の精神医療に調査を入れる大きな契機となった。当時「精神衛生法」には「措置入院」と「同意入院」がうたわれているが、この「同意」は「保護義務者の同意」であって、本人の意思とは限らず「同意入院」が本人納得上のもので、強制入院ではないという意味ではなかったのである。

              あとであそんでね

翌年、国際法律家委員会は日本政府に「勧告文」を突き付けて不当な入院患者の長期在院と地域医療体制の不備を指摘している。
その内容は、かつて英国のクラークが日本政府に残した勧告文と全く同じ内容だったという。それからなんと17年を経過していたことになる。

そんな中、昭和62年に「精神衛生法」が改正され、「精神保健法」と改められた。
しかし、内容はまだ拘禁法そのものであり、「同意入院制度」が「医療保護入院」として残っているなど、患者はこれまで通り意思を無視され、長い拘禁を強いられることに変わりはないものであった。

社会復帰促進のため、通所授産施設・福祉ホーム・援護寮などの設置の必要をうたっていたが、それらの設置と充実を義務付ける条項が、当時の行政や自治体のどこにもなかった状況がある。
そのように不満だらけの条文の中で「この法律は実施状況をみて5年後に見直しをする」という一項が添えられていたことが唯一の救いだったといえよう。

身体障害者相談員の設置、身体障害者家庭奉仕員派遣事業の創設などのなかで、昭和45年に障害者対策の総合的推進を目的に、心身障害者対策基本法が制定されて以来、平成5年に障害者基本法として改正されるまで精神障害者にとっては長い道のりだったといえる。
心身障害者対策基本法ではその名のとおり、身体障害者と知的障害者の法律であったものが、障害者基本法によって、ようやく精神障害者がはじめて法律で規定されることになったのである。

精神障害者が障害者基本法に組み込まれたことは、その後の障害者福祉に大きな一歩となり、平成7年に精神保健福祉法が制定されることになる。
そして、精神病院から社会復帰施設、さらには地域生活へ帰ることを目的としたケアの流れが重視されることとなったのである。

【引用・参考文献】